2010年6月20日日曜日
川越電気鉄道
現在10両編成の通勤電車が走る川越線も、かって蒸気機関車や気動車が走っていた非電化のローカル線だったことなど今では遠い過去の話だ。それゆえ、その川越線の開通で1940年に廃線になった川越電気鉄道の面影が、ここ数十年間に徹底的に再開発された大宮駅西口付近で見られるのは不思議だ。もちろん偶然線路跡が路地として残っただけのことで、鉄道の遺構があるわけではないが。(川越の久保町駅舎は昭和40年代まで荒廃していたが残っていた)
川越電気鉄道 1906年(明治39年)開業
その後、旧西武鉄道に吸収され、1940年(昭和15年)廃線
廃止前年度の車両は電動車7両、付随車2両、貨車6両となっている。
軌間は当時の東京市電と同じ1372mm(4フィート6インチ)、この幅の軌道は東京周辺に集中していた。もともと東京の市電の前身の馬車鉄道が米国より輸入した車両がこの軌間だったためのようだ。相互乗入のため、車両の融通などを考慮して周辺の鉄道(京王、京成など)が採用した。
大宮駅西口からほぼ国道16号に沿っていた。路線図をみると、五味貝戸や西遊馬といったバス停でなじみの名前が見える。沼端とは伊佐沼の端のようだ。荒川ももちろん橋で渡った。今でも川越線はこの付近でよく強風のために止まるのだが、当時こんな小さな電車で飛ばされなかったのだろうか。
参考サイト 廃探倶楽部 http://haitan.web.fc2.com/index.html
このサイトは他に、山屋でも興味深い記事があります。
参考文献 チンチン電車80年 立風書房
資料日本の私鉄 和久田 康雄 鉄道図書刊行会
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