ブログアーカイブ

2010年7月25日日曜日

大行沢~走れ若者よ!

7月17日の夜から19日にかけて、仙台近郊の大東岳の大行沢(おおなめさわ)へ行った。
沢もショートカットして登山道の途中から沢に入り、滑だけを楽しんだ。泊まった桶ノ沢避難小屋もきれいで快適だった。18日に東北地方も梅雨明けして、天気にも恵まれた。但し、沢を最後までつめて藪こぎ、稜線へという過程をカットしたため、いささか物足りなさは残った。

下の絵は下山時に会ったヘルメットをかぶり、無線機と携帯蚊取で重装備した自称80歳と5ヶ月の方。
「若いんだから走れ!」と言われた。




2010年7月20日火曜日

磁石はついに北を指す針


7月17日、関東地方は梅雨が明けた。
7月16日、山陰線余部鉄橋が廃止。隣に建設中の新橋が8月には開通する。
余部鉄橋といえば、吉永小百合主演の「夢千代日記」のオープニング、武満徹の曲で鉄橋を渡るディーゼルカーの映像を思い出す。

ここで取り上げられた明治時代の歌人前田純孝の歌 (番組では松田優作が演じている)

磁石の針 振り乱さんは無益なり  磁石はついに北を指す針

ついに北を指す針とは,動かそうとしてもどうにもならない現実なのか、それとも自分の意志を貫くことなのか。

2010年6月21日月曜日

ここは何処?

次の写真は何処でしょうか?

(1)北海道
(2)岩手県
(3)東京都





答え (3)東京都   西東京市の東大演習林&農場です。

2010年6月20日日曜日

川越電気鉄道


















現在10両編成の通勤電車が走る川越線も、かって蒸気機関車や気動車が走っていた非電化のローカル線だったことなど今では遠い過去の話だ。それゆえ、その川越線の開通で1940年に廃線になった川越電気鉄道の面影が、ここ数十年間に徹底的に再開発された大宮駅西口付近で見られるのは不思議だ。もちろん偶然線路跡が路地として残っただけのことで、鉄道の遺構があるわけではないが。(川越の久保町駅舎は昭和40年代まで荒廃していたが残っていた)
 
川越電気鉄道  1906年(明治39年)開業
その後、旧西武鉄道に吸収され、1940年(昭和15年)廃線
廃止前年度の車両は電動車7両、付随車2両、貨車6両となっている。


軌間は当時の東京市電と同じ1372mm(4フィート6インチ)、この幅の軌道は東京周辺に集中していた。もともと東京の市電の前身の馬車鉄道が米国より輸入した車両がこの軌間だったためのようだ。相互乗入のため、車両の融通などを考慮して周辺の鉄道(京王、京成など)が採用した。



大宮駅西口からほぼ国道16号に沿っていた。路線図をみると、五味貝戸西遊馬といったバス停でなじみの名前が見える。沼端とは伊佐沼の端のようだ。荒川ももちろん橋で渡った。今でも川越線はこの付近でよく強風のために止まるのだが、当時こんな小さな電車で飛ばされなかったのだろうか。

参考サイト 廃探倶楽部 http://haitan.web.fc2.com/index.html
このサイトは他に、山屋でも興味深い記事があります。

参考文献  チンチン電車80年 立風書房
      資料日本の私鉄 和久田 康雄  鉄道図書刊行会

2010年6月12日土曜日

鉄道模型的風景 寄居付近

クリーンハイクで寄居に行ってきた。地図で見るように、寄居駅は3つの鉄道会社(JR東日本、東武鉄道、秩父鉄道)が乗り入れているのだ。(それが何なんだと言われれば、別にどうということはないのだが。)
大宮駅だってニューシャトルを入れても、3社なのだ。


大きな地図で見る

2010年6月6日日曜日

クリーンハイク 6月6日



今年のクリーンハイクはいつもよりずれて6月の実施だった。
場所は寄居近郊の鐘撞堂山。天候にはめぐまれたが、子供たちの集団とはちあわせで、頂上はごらんのような有様だった。

2010年6月5日土曜日

霧に咽ぶ沢  5月30日

今年初めての沢登りは、奥秩父、大洞川・手戸沢。曇り時々雨、肌寒いくらいだった。
苔むして、見るからに奥秩父の沢という感じ。

原全教「奥秩父」昭和8年刊 では

「古来この澤のみは遡行不可能であると云われている。」とある。そのような事はないが、雨の後で水を含んだ泥壁の高巻きが難儀だった。フェルトはわらじに比べ泥などはすべる。





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