7月17日の夜から19日にかけて、仙台近郊の大東岳の大行沢(おおなめさわ)へ行った。
沢もショートカットして登山道の途中から沢に入り、滑だけを楽しんだ。泊まった桶ノ沢避難小屋もきれいで快適だった。18日に東北地方も梅雨明けして、天気にも恵まれた。但し、沢を最後までつめて藪こぎ、稜線へという過程をカットしたため、いささか物足りなさは残った。
下の絵は下山時に会ったヘルメットをかぶり、無線機と携帯蚊取で重装備した自称80歳と5ヶ月の方。
「若いんだから走れ!」と言われた。
~La bouteille à la mer / a bottle in the sea~
2010年7月25日日曜日
2010年7月20日火曜日
磁石はついに北を指す針
2010年6月21日月曜日
2010年6月20日日曜日
川越電気鉄道
現在10両編成の通勤電車が走る川越線も、かって蒸気機関車や気動車が走っていた非電化のローカル線だったことなど今では遠い過去の話だ。それゆえ、その川越線の開通で1940年に廃線になった川越電気鉄道の面影が、ここ数十年間に徹底的に再開発された大宮駅西口付近で見られるのは不思議だ。もちろん偶然線路跡が路地として残っただけのことで、鉄道の遺構があるわけではないが。(川越の久保町駅舎は昭和40年代まで荒廃していたが残っていた)
川越電気鉄道 1906年(明治39年)開業
その後、旧西武鉄道に吸収され、1940年(昭和15年)廃線
廃止前年度の車両は電動車7両、付随車2両、貨車6両となっている。
軌間は当時の東京市電と同じ1372mm(4フィート6インチ)、この幅の軌道は東京周辺に集中していた。もともと東京の市電の前身の馬車鉄道が米国より輸入した車両がこの軌間だったためのようだ。相互乗入のため、車両の融通などを考慮して周辺の鉄道(京王、京成など)が採用した。
大宮駅西口からほぼ国道16号に沿っていた。路線図をみると、五味貝戸や西遊馬といったバス停でなじみの名前が見える。沼端とは伊佐沼の端のようだ。荒川ももちろん橋で渡った。今でも川越線はこの付近でよく強風のために止まるのだが、当時こんな小さな電車で飛ばされなかったのだろうか。
参考サイト 廃探倶楽部 http://haitan.web.fc2.com/index.html
このサイトは他に、山屋でも興味深い記事があります。
参考文献 チンチン電車80年 立風書房
資料日本の私鉄 和久田 康雄 鉄道図書刊行会
2010年6月12日土曜日
鉄道模型的風景 寄居付近
クリーンハイクで寄居に行ってきた。地図で見るように、寄居駅は3つの鉄道会社(JR東日本、東武鉄道、秩父鉄道)が乗り入れているのだ。(それが何なんだと言われれば、別にどうということはないのだが。)
大宮駅だってニューシャトルを入れても、3社なのだ。
大きな地図で見る
大宮駅だってニューシャトルを入れても、3社なのだ。
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2010年6月6日日曜日
2010年6月5日土曜日
霧に咽ぶ沢 5月30日
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